自分にとって河口慧海は、「こんなに偉大な日本人がいたとは」思う人です。
ざっくりいうとこんな感じ。
(ウィキペディアより抜粋)
・幕末の1886年、大阪・堺の桶樽職人の家に生まれる
(お寺の跡取りなどではないことがポイント)
・仏教を学ぶが、漢語に翻訳された日本に伝わった仏典に疑問を持つ
・仏陀本来の教えを求めて、鎖国中のチベットに入国
・日本人であることを隠し、チベットの僧侶として、ラサで学ぶ
(ということはチベット語や仏教について、相当高いレベルであった)
・2度に渡るチベット行きを行なう
↓ ↓ ↓
日本の仏教界からはまったく評価されない。
(彼を評価してしまうと、日本のお経が間違っている、ということになるため)
河口慧海については、生まれた堺市の調査でも「知っている=5.8%」と非常に低い。
大阪・堺市の七道駅の前には、河口慧海の像があるのですが、11月末に行なった大阪ツアーのときには、彼について熱く語らせて頂きました。
[写真 左]河口慧海がヒマラヤ越えをしてチベットに向かう前に、ネパールの山村に滞在したマルファ村
[写真 右]マルファ村にある河口慧海ゆかりのお堂内部